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フェリピンは7,109の島々 からなっており、国土の面積は299,404平方キロメートルあります。これは日本の約8割にあたります。フィリピンの総面積の35%を占めるルソン島には首都であるマニラ市があり、またフィリピンで最も人口が一番多いケソン市もこのルソン島内にあります。

島国であるフィリピンは東にはフィリピン海、西には南シナ海、南にはセレベス海に囲まれた島国です。またフィリピン海を挟んで日本、南シナ海とフィリピン海を結ぶ海峡であるルソン海峡を挟んで台湾、フィリピン南西部にあるスールー海を挟んでマレーシア、フィリピン南部にあるセレベス海を挟んでインドネシア、そしてフィリピン西部にある南シナ海を挟んで中国やベトナムと対しています。

フィリピンの正式名称はフィリピン共和国。フィリピンという国名は1542年スペインの皇太子フェリペの名前をとり、ルイ・ロペス・デ・ビリャロボス(スペイン人)によって、この地をラス・フェリペナス諸島と名付けられたことに由来しています。スペインから独立した翌年の1899年にフィリピン共和国が建国されましたが、建国を認めないアメリカによって植民地化された。第二次世界大戦中の1943年、日本(大日本帝国)によってビルマと共に再び独立。しかし、1945年に第二次世界大戦で日本が敗戦し独立を失い、再びアメリカの植民地となりそうでしたが、翌1946年マニラ条約締結後の7月に独立し承認されました。(国連への加盟は1945年10月)

フィリピンは大統領を元首とする共和制国家。大統領は行政府の長であり、大統領と副大統領は国民の直接選挙によって選出されます。任期は6年で再選は禁止されています。議会は上院と下院の二院制。上院は24議席あり任期は6年。3年毎に24議席の半数の12議席が選挙によって選出されます。下院は214議席あるが、これは憲法で定める250議席よりも少ないです。

フィリピンは先述のように海に囲まれています。フィリピン海にあるフィリピン海溝は世界3位の深さがあり、ルソン島中部からミンダナオ島の南方まで続いています。フィリピン海溝だけでなく、いくつもの海溝があり、これらの海溝の地殻変動によって東西1100キロ、南北1800キロの海域にフィリピンを形成する7,109に上る島々が作られたと言われています。

フィリピンの約30万平方キロメートルに及ぶ国土にはマヨン山、ピナトゥポ山、タール山などの活火山を含む山岳地帯と多くの熱帯雨林が占めています。また、フィリピンは鉱物資源が多く、金鉱床は南アフリカに次ぐ規模を誇っており、銅鉱床やニッケル、亜鉛も多いです。

フィリピンの気候は、熱帯海洋性気候に属しており、一年の大半は暑く湿度が高いことで知られています。雨季は6月から11月で12月から2月は比較的涼しいです。気温は年間を通して21度から32度で過ごしやすいです。雨季の前の5月に最も高くなります。

フィリピンの位置は、ちょうど台風の通り道にあたり、年間20近くの台風が通過します。特に7月から10月にかけて多く、年間降水量は東部海岸山岳地帯においては5,000mmに達することもあります。

フィリピンの人口は約9800万人を越え、同じ東南アジアにあるベトナムよりもやや多く、マレー系をはじめとする多民族国家です。主要民族はタガログ民族で約4分の1の2500万人を越えるとされ、ルソン島に多く住んでます。彼らはタガログ語で話し、そのタガログ語は、フィリピンの公用語であるフィリピン語とほぼ同種のものです。

フィリピンの首都であるマニラ市はルソン島の中西部にありマニラ湾の東部に位置します。マニラという名前はタガログ語のニラノキが生えるところを意味するマイニラに由来しています。人口は約166万人でマニラ首都圏(メトロマニラ)の中核都市です。

マニラ首都圏は州に属しておらず、マニラ市やケソン市などの16市と1町により構成されています。この首都圏には約1200万人が居住しており、近郊を含む都市圏人口は約2200万人で世界第5位の大都市圏を形成しています。この数字はアメリカのニューヨークよりも多いです。首都圏面積は635平方キロメートルで、日本の東京23区(619平方キロメートル)やスペインのマドリード(605平方キロメートル)よりもやや大きいです。

フィリピン最大の都市であるケソン市は約268万人が住みます。ケソン市はマニラ市の北東に隣接しており、マニラ近郊の中では比較的新しく出来た都市で約166平方キロメートルある広大な面積を計画的に整備されていることもあって交通渋滞は少ないです。ケソンとはフィリピンの初代大統領のマニュエル・ケソンの功績を讃え名付けられました。

フィリピンと日本の歴史は、スペインによる植民地支配(1592年)よりも以前より交流があったとされています。しかし、貿易が始まったのはスペインによる植民化以降、豊臣秀吉はキリスト教布教を伴わない南蛮貿易を望み、1592年に朱印船貿易を行うようになってからです。

1910年代になると農園経営のため、日本から多くの労働者がミンダナオ島にあるダバオに移住し、1916年には町の日本人が1万人を越え日本人街が形成され、日本人学校や神社仏閣なども建設され発展した。しかし、第二次世界大戦が始まると、大日本帝国軍がフィリピンを占領するまで日本人は強制収容されていました。1944年にアメリカがフィリピンを再奪回してからは街は激戦地となり壊滅させられました。

フィリピンと日本が戦争を終結したのは第二次世界大戦後10年以上経った1956年、日比賠償協定締結時です。その後、1976年までにフィリピンに対して約1900億円もの賠償金を支払っているだけでなく、戦後補償の意味合いも込めて援助供与が積極的に行われています。今ではフィリピンにおいて日本は最大の援助供与国となっています。また日本はフィリピンの最大の輸出相手国、輸入相手国となっています。

現在、フィリピンへの進出企業は増加傾向をたどっており、また日本人商工会議所の会員企業数は600を越え右肩上がりに上昇しています。業種は半数近くを製造業が占めており、サービス業、商業といった順になっています。

この増加傾向の理由として、ジェトロの調査においてフィリピンは『言語、意思疎通上の障害が少ない国』として評価されていることや、フィリピンの政策によって給与水準が上がらず安定していること、その給与水準が他の国と比べて安いこと、数年後には日本の人口を追い抜きそうなほどに爆発的に人口増加がしており若年労働者の確保が容易に確保出来ることなどが理由とされています。