ベトナムには、歴史上で活躍した英雄や著名人が通りの名前になっていることが多い。その中でもベトナムに住んでいて良く目にする名称を中心にベトナムの歴史に触れる第2回目となります。
⑧ヴォーヴァンタン通り(Võ Văn Tần)
【ヴォー・ヴァン・タン(1894年~1941年)】
ベトナム共産党の幹部で1940年に起きたベトナム南部を中心としたナムキーコイギア(反仏・反日武装蜂起)を計画した一人。しかし、サイゴンで予定されていた大規模な蜂起は計画が事前に漏れたため失敗に終わった。その後、フランスに捕らえられ処刑された。
⑨ブイティスアン通り(Bùi Thị Xuân)
【ブイ・ティ・スアン(裴氏春 ?~1802年)】
西山朝の女性指導者。容姿端麗で文武両道、特に武術に優れていたことから、後に夫になるチャン・クアン・ジェウ(陳光耀 ?~1802年)が虎に襲われているところを助けたという伝説がある。ちなみにチャン・クアン・ジェウは名将とされ西山七虎将の一人に数えられる。
⑩グエンフエ通り(Nguyễn Huệ)
【グエン・フエ(阮恵 1753年~1792年)】
西山朝の第2代皇帝。ベトナム史上最も成功した軍司令官の一人とされる。
⑪ファンボイチャウ通り(Phan Bội Châu)
【ファン・ボイ・チャウ(潘佩珠 1867年~1940年)】
反仏独立運動の指導者。独立運動の協力を求めるため、1905年来日し犬養毅や大隈重信らと出会った。『独立運動のためには人材育成が必要』だと説き、ベトナム人青年を日本へ留学させる『東遊運動(ドンズー運動)』を興した。
⑫ボーティサウ通り(Võ Thị Sáu)
【ボー・ティ・サウ(武氏六 1935年~1952年)】
フランス独立運動に参加した女性烈士。コンダオ島に流刑され、そこで銃刑にされた。
⑬ファンチューチン通り(Phan Châu Trinh)
【ファン・チュー・チン(潘周楨 1872年~1926年)】
民族運動家。1906年ドンズー運動に乗じて日本へ渡ったが、ファン・ボイ・チャウと考え方の違いで対立し数週間でベトナムへ帰国した。その後は近代化を目指すズイタン運動を興した。
⑭ハムギー通り(Hàm Nghi)
【ハム・ギー(咸宜 1871年~1943年)】
阮朝の第8代皇帝。
⑮ファンシックロン通り(Phan Xích Long)
【ファン・シック・ロン(潘赤龍 1893年~1916年)】
反仏運動のナムキ秘密結社のリーダー。自らの運動を広めるためにハム・ギーの子であると自称した。しかし実際はチョロン出身の華人であった。