ベトナムの生活基本情報

ベトナムについて


ベトナムの生活環境は日々先進国に近づいていますが、まだまだ発展途上です。やはり日本と同じようにはいきません。ただ住んでいる方の多くは、そういった発展途上の部分や先進国へ近づこうとしているところを楽しんでいるようです。


1.地理、気候


東アジア・東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和制国家です。国土は南北に長く、その距離南北1,650kmもあり、東西には600kmに広がっています。北に中華人民共和国があり、西にラオス、カンボジア、東は南シナ海に面し、その向こうにはフィリピンがあります。

首都はハノイ市です。北のデルタと呼ばれるものは、紅河(ソンコイ川)周辺に位置するもので、首都ハノイや港湾都市ハイフォンがあります。南のデルタと呼ばれるものは、メコン川周辺で、ベトナム最大の都市ホーチミンがあります。

主な河川はには紅河、カー川、中部のバー川、南部のドンナイ川があげられます。1番高い山としては北部国境に近いファンシーパン山(3,143m)があげられます。

南北に長いため、北部は温帯性の気候で、南部は熱帯性気候と分かれます。7月から11月までは、特に国土の中央部で台風の被害を受けることが多いです。


2.人種、人口


人種は、平地民の越人、京人、キン族から成るベト人が9割近くを占め、その他に山地民の53の少数民族が暮らしています。

人口は、2015年の総計によると9千1百万人以上で、世界順位では13位です。公用語はベトナム語です。人名の多くは、漢字からとられています。また、結婚しても夫婦別姓です。


3.歴史


ベトナムは中国歴代王朝から繰り返し侵略を受けてきました。1世紀にベトナムで初めて中華王朝、後漢の圧政に立ち上がったハイ・バー・チュン(チュン姉妹)がいます。彼女は英雄視され、その名がベトナムの都市の街路名等に使われています。

室町時代から江戸時代には、日本の朱印船がホイアン(ベトナム)へ出入してました。そしてホイアン(會安)には1000人程の日本人町も作られました。ホイアンの日本橋(来遠橋)は、交易のあった頃に日本人によって作られたと言われ、今でも現地の人に大切に使われています。そこの提灯にフェホォと書いてあります。これは当時のホイアンの町の呼称です。しかし、江戸幕府の鎖国令の発布により、日本人町は廃れていきました。

近年では、第一次インドシナ戦争でベトナムがフランスに勝利した後、アメリカがベトナムに介入、1954年にベトナム独立戦争は終結します。続いて1961年にアメリカ合衆国政府は南ベトナムにアメリカ合衆国軍を派遣し、ベトナム戦争へ軍事介入します。1965年にアメリカ合衆国政府は北ベトナムに戦線を拡大し、またこの時アメリカはラオスやカンボジアにも大規模爆撃をしました。

現在のベトナムの食卓で見かける「ベトナムコーヒー」「フランスパン・バインミー」「ワイン」は仏領インドシナの名残りであり、「シエスタ(昼寝)」の習慣、ダラットで見かける高級ホテルや別荘、カトリック教会の聖堂であるハノイ大教会・サイゴン大教会・ダナン大教会・ホイアンの古い町並みは、フランス統治時代の面影を色濃く遺していると言えます。


4.経済、産業


1986年のベトナム共産党大会で、社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策が採択された後、中国の改革開放と同様に市場経済路線へと転換しました。現在は政府開発援助と外国投資が経済を牽引しています。NEXT11やVISTAの一角にも数えられており今後一層経済の発展が予想されています。1996年のベトナム共産党大会では、2020年までに工業国入りを目指す「工業化と近代化」を二大戦略とする政治報告を採択しました。世界の企業家からはベトナムが中国に次ぐ「世界の工場」の座を射止めることが出来るかが注目されているところです。

主な輸出品目は、原油で原油生産は東南アジアで第3位です。その他衣料品、農水産物があります。カシューナッツと黒胡椒の生産は世界の1/3を占め1位です。コメのほかコーヒー、茶、ゴム、魚製品の輸出も多いです。

石油を中心とした有機鉱物資源、スズを中心とした金属鉱物資源に恵まれています。金属鉱物資源は、もっとも重要なのがスズです。その他亜鉛、金、クロム、鉄、鉛のほか、リン鉱石の産出があります。


5.ベトナム人気質


ベトナム人の気質を大きく左右している要素としては、まず長い国土という事があげられます。それぞれ、北部・中部・南部で年間の気候も大きく違ってきます。

北部の人間は、その厳しい自然環境に対処して来なければなりませんでした、そのため北部の人は忍耐強く勤勉で努力家が多いようです。一方南部は暖かな気候と豊かな自然の恵みを受けていましたので、明るく、開放的で、楽天的な人が多いようです。

またベトナム人の多くは、儒教の教えを受けてきたので、自分自身の価値を高める事に、強い関心を持っているようです。そのためとても教育熱心です。

忘れてはならない点としては、長い間戦争下にあったという事です。今日を生きるか死ぬかの生活を続けてきました。新しいカフェや食べ物屋がオープンしたかと思うと1,2ヶ月で閉店していまうというパターンをよく目にします。ある意味、近視眼的なのかも知れません。

また、戦争で男性がいなかった時でも、強く生きてきた女性が多かったためと思いますが、ベトナム人女性は働き者で優しく、気が利きます。家でも女性が上位で生活の切り盛りをしています。


6.食文化


地方によって気候や食習慣が異なるため、食材や味付けなどにも地域ごとの差があります。 北部(ハノイなど)の料理は他の地方に比べ全体にヌックマム(魚醤)、塩、味の素、醤油を多用したやや塩辛い味付けで、ハーブもそれほど使用しないものが多いです。

中部(フエなど)は唐辛子などを使った辛い味付けのものが多いです。またフエ料理には宮廷料理の影響を受け、洗練された料理や凝った料理が多いと言えます。

南部(ホーチミン市など)は砂糖やハーブを多用し、全体的に甘い味付けです。ココナッツのジュース、ココナッツミルクなどの食材もよく用いられます。

代表的な料理にフォーがあります。ベトナムで最もポピュラーな麺類の一つで、平打ちライスヌードルです。米麺に牛骨から取ったスープや鶏スープをかけ、これに好みによってこれに香草やもやしを加えて食べます。日常的によく食べられています。また揚げ春巻きや、生春巻きも良く知られたベトナム料理です。


7.住宅事情


住宅事情はあまり良いものではありませんが、都市部郊外に工業団地の建設が進んでおり、それに伴い住宅開発も盛んに行われています。そのため、住宅事情は改善され、選択肢も広がると期待されています。

ただ現在の住宅における選択肢の代表格はサービスアパートメントです。これは日本人を含め外国人は治安や生活環境の良さが理由に挙げられます。しかし物件数に限りがあるため、北のハノイ、南のホーチミン共に受給が逼迫しており家賃の高騰に繋がっています。部屋の広さこそ日本よりも大きく100㎡近くありますが、価格が日本でいう東京並の家賃からとなります。そのため、サービスアパートメントに住むのは家賃を会社側が負担してくれる駐在員の方が多いです。現地採用者にいたってはは日本人街や比較的治安が良くローカルよりかは少し高めのアパートメントです。こちらになると家賃は安く大体3万円前後から高くても10万円はしません。ベトナムにおいて、仲介手数料は家主側が負担するので、家を決める際には2ヶ月~3ヶ月分の保証金(デポジット)と家賃が必要になります。


8.交通事情


交通事情は舗装道路が多いので道路が雨で陥没していたり、道が途中でなくなっていたり、といったことはありません。道路は悪くなくても、都市部においては頻繁に渋滞が発生します。自動車専用道路があるものの、まだまだバイクが主流の国なので、朝夕のピーク時になると道路はバイクで溢れ返っています。バイクですらも進むことが出来ないほどです。都市部だけでなく郊外へもバスが運行されていますが、最終バスが早いので発車時間には気をつけないといけません。地下鉄は当初2018年完成予定でしたが現在は2020年を完成予定として開発されています。


9.医療事情


医療事情はあまりよくありません。日本人医師や日本語が話せるスタッフがいる病院がありますが、大きな手術に及ぶ場合はタイやマレーシア、日本へと移送されます。